アロマ助産師あっこのつぶやき

アロマ助産師になったわけ⑩

アロマ助産師になったわけ⑩

自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから

*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。

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助産師になって一番悔しかったこと。
「まだ、結婚も妊娠もしたことのない、若いあんたに、何がわかる!」
この言葉は、陣痛室で産婦さんのケアを行っていたときに言われました。

悔しかった~。

この産婦さんは、初産婦さん。
陣痛開始し、ゆっくりと進行していました。
少し疲労はあるものの、陣痛は弱くなることはなく、赤ちゃんの心音も問題ないと様子を見ていました。

ただ、陣痛時の痛みには、苦痛の表情を示します。

私もできるだけ、
マッサージをしたり、
体を温めたり、
ツボを押したり、
経過をお話しして、安心していただけるようにしていたつもりです。

でも、付き添っておられた、実母さんは、
苦しむ娘さんの姿にいたたまれなくなったのでしょう。

上の言葉を、私に、厳しい表情と共に投げてきました。

今思えば、実母さんの立場に立てば、ただただ心配していて、
その不安ややるせなさや、どうして良いかわからない気持ちが、
私への怒りとして、現れていただけだと。

しかし、当時の私は、その言葉を、ショックで受けとりました。

自信と過信がない交ぜになり、変な強さを身に付けていた時期でもありました。

対応こそ、穏やかに笑顔でしたと思いますが、その心のうちは、それこそ、怒りに似た悔しさで一杯。

『私だって、一生懸命勉強してきた!
あの人より、絶対立ち会った分娩は多いし、助産師として真摯に向き合ってるつもりだ!
若いということ、当事者として経験していないってことが、こんなに悪く言われるなんて!』

心のなかで、渦巻く叫びは、段々と私の自信のなさ、不安と結び付き、自己否定を強めていきます。

この出来事、25歳で結婚する、半年前位だったと思います。

6月の爽やかな陽気のなか、私は結婚します。
とても幸せな気持ちでした。
実際幸せでした。

家族や友達に囲まれ、祝福の言葉をいただき、とてもとても楽しい時間を過ごしました。

摂食障害は、小康状態。
でも、治っているわけではない、火種がくすぶっているような状態。

やはりどこかで、心の拠り所、自分が存在している意義を探していました。

安心で満たされたいという渇望は、とても強いものでした。

『自分は満たされていない』
そんな、妄想で、思い込みで、自分を蔑んでいました。

その代わり、私が接する人には、
『安心してほしい、笑顔でいてほしい』
と、自分ではない他の人で、その渇望を満たしていたのです。

なんの、解決にも繋がらない、方法です。
むしろ、自分のために、人を使っていたような状態です。

結婚した私は、母になることを切望します。
周りから望まれていた、ということもありますが、
やはり、妊娠出産を経験すること、子育てをすることで、
いつか言われた、
「まだ、結婚も妊娠もしたことのない、若いあんたに、何がわかる!」
を払拭したかった。

そして、母になることは、私の存在意義や価値を、高めてくれると感じていたのです。

当時の私は、常勤勤務。
当然月に7回の夜勤。
変則的な生活リズムです。

元気なつもりでいましたが、やはり、どこか不健康。

夫との時間もすれ違いで、なかなか、子宝には恵まれません。

常勤からパート勤務へと変えます。
少し余裕が出るかと思ったら、今度は、無駄に色々考える時間が増え、
『妊娠はまだか?』
の声が増え、体より、心も疲れていきました。

そんなか、分娩介助直後に、私は分娩室で倒れます。
赤ちゃんを取り上げ、胎盤の娩出(べんしゅつ)を見届け、ふっと、産婦さんの顔を見てから。

その後の記憶は、陣痛室のベッドの上で血圧を測られているところ。

あってはならないことです。
どれだけ、産婦さんやご家族を不安にさせたか。
どれだけ、周りの医師や同僚に、余計な仕事をさせたか。
自己嫌悪の嵐です。

医師も同僚も、私を心配してくれて労ってくれました。
でも、絶対、私は迷惑な存在でした。

その汚名を返上しようと、私は頑張ります。
ますます笑顔で、
ますます熱心に、
ますます緊張して、
仕事に臨みます。

仕事で緊張しながらも、プライベートでは、婦人科の受診をします。

子宝に恵まれないのはなぜか、検査をきちんと受けようと思ったのです。

振り返れば、こんな緊張状態で、妊娠できるのは、難しいと思います。

当時の私に言ってやりたい。
『大丈夫、あなたは頑張っている。もっと、ゆっくりして大丈夫。そのままで良いのだよ。』
って。

血液検査や、エコーでの子宮や卵巣の検査。
そして、卵巣から子宮に伸びる、卵管がきちんと通っているかの検査などしていきます。

夫は、しぶしぶながら、男性側の検査も受けてくれました。

私の検査で、卵管の通りが悪いことがわかりました。
卵管狭窄です。

完全に閉鎖しているわけではないのに、私はとてもショックを受けます。
夫にも泣きつきました。普段したことがないのに。

そんな状況を、病院の先輩助産師に話しました。
それを受けての先輩の言葉は、
「なんだー、じゃー、不妊治療すれば良いじゃん」
文面では、とても普通な返事です。
でも、私としてはショックでした。

『あー、私は不妊なんだ』
『ダメなんだ』
どうしてこんなネガティブにとらえるのでしょうね。

分娩介助後に倒れたこと、検査の結果、先輩の一言。

「あー、私、病院で働けないな~・・・」
そう思いました。

私が望む、母になることや、大好きな赤ちゃんを前に、自己否定しか湧いてこなかった。

私は、その病院を、助産師を辞める決意をしました。
ほぼ、誰にも相談せずに。

⑪へ続く

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