自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから
*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート)
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。
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『産後クライシス』
そんな言葉も見受けられるようになりましたね。
産後はまさに、夫婦関係や、自分自身との関係を見直す、見直さなければならない出来事のようです。
理想を突っ走るあまり、なにも見えなくなっていました。
見えているのは、私の理想論、理想像。
厄介なのは、私が助産師であったこと。
私が考えるならば、間違いないかな。
そう言うなら、そうなのかな。
周りは、私に、そりゃ気を遣ったことでしょう。
不安なんですよ、私も。
『助産師なのに・・・なんでこんなに悩む?』
とか、よく思っていました。
はじめてのことばかりなのに。
母乳育児へのこだわりから、私は子供とべったりになっていました。
はた目には、義実家によく遊びにいったり、
児童館によく行ったり、
一時保育に預けたり。
でも、気持ちは、子供と私の世界ばかり。
夫は、地元の付き合いで忙しく、夜も不在が多い人。
そんな夫に、大いに不満感、不信感を募らせていきました。
本当は頼りたいのに、
『私がすべて引き受けて、理想の母や妻をやってみせる!』
と、意気込んでしまった私は、もう、ひねくれていましたね。
素直に、
疲れていること、
頼りたいこと、
不安なこと、
悲しいこと、
寂しいこと、
なーんにも、伝えられずにいました。
私は、夫への蔑みや、怒りや、嫌悪感で、これらの感情に蓋をしていました。
まるで、本当の感情が出たら、
『負ける』
とか、
『捨てられる』
とか、恐怖感から逃げるように。
どれも、思い違いで、妄想なだけなのだけれど。
そして、その思い違いからも、逃げるように、食事やエクササイズにこだわりを膨らませていきます。
実験好きなのもあり、家庭料理に、学んだ栄養の知識を盛り込み、
それを、家族に強制していきます。
その当時の思いは、
『家族の健康のため』
でした。
悪気は全くありません。
ただただ、視野が狭く、周りを信用していなかったのだと。
当然、夫は反発します。
(ここは、私に迎合しなかった夫の、すごいところかと)
うまく言葉で表せない人なので、態度で示します。
不機嫌だったり、
食べなかったり、
これは食べたくない!とはっきり言ったり。
確かに、理論的には良い食事だったかもしれない。
けれど、不安から、理論や理想を追求しすぎた食事は、
『楽しさ』
や、
『幸せ』
を、無くしていきました。
でも、私は、食へのこだわりが、愛情表現そのものだったので、
反発されてすごく悲しかったし、否定された感覚でいました。
だから、夫を嫌悪しました。
『わかってくれないなんて!』
と、ふてくされて・・・・
産後から続く孤独に、ますます拍車がかかります。
今思えば、
夫も相当悩んだでしょうし、困惑していたでしょう。
元々優しい人なので、
『黙る』
ということで、私を放っておいてくれました。
今思えば、です。
当時はそんな思い、まっっったく感じませんでした。
摂食障害からの影響で(いや、同時に存在したのか)、
『醜形恐怖』
なんてものも抱えていたので、産後の体型の崩れにも、気をもみます。
科学的に、理論的に、効率よく、そんなことを求めながら、エクササイズを調べていきます。
子育て期間、まとまった運動の時間がとれないので、日常の生活動作からできるエクササイズ。
バランスを取り戻すという視点から、
”筋力の維持や強化”
”筋肉と骨格の関係性”
を求めて、動くようになります。
疲れますよね、これ。
疲れているのに、私がやっていることは、さらに疲れていくこと。
休むということが、さらに下手くそになっていました。
休めない心と体は、他者と仲良くするどころか、自分自身とも仲良くなんかできません。
『演じる』
ということがうまくなっていった時期ですね。
本当の自分を、隠してしまう演技。
これは、他者へも、そして、自分自身にも。
自覚なく、自分に嘘をついている、ということでもあるかな。
いや、いずれにしろ、このときに学んだことは、私の礎になっています。
何回も言いますが。
疲れて疲れて、どうしようもなくなって、やっと私は、他者を頼ります。
家族でも、友人でもなく、
『夫婦カウンセラー』
という人に。
プライドがめっちゃ高く、傷つきやすくなっていた私には、
より親しい人に、自分をさらすことは、恐怖でしかありませんでした。
そんなときの、専門家の存在。
なんと、心強かったか!
私が、
『専門家を使おう!』
と言っている、大本になる喜びの体験です。
夫婦カウンセラーとのやりとりは、主に電話でした。
現状を伝え、思いを伝え、自分なりに分析したことを伝え、
カウンセラーの言葉を待ちます。
『話すことは放すこと』
ほんと、その通りでした。
根本解決なんて、すぐにはできません。
でも、少しずつ、私の中で何かが変わっていくのです。
そこでは、私の長所や強みを、たくさんあげてもらいました。
短所や弱点は、自分で見つけることが得意だったので、
この、長所と強みを、わかりやすく表現してもらったことは、
自分と子供と家庭に閉じ籠ってしまった私を、客観視する良い機会でした。
そのカウンセリングで思い出したこと。それは、
『助産師として働く』
ということでした。
不思議ですよねー。
私のアイデンティティに、助産師は組み込まれているのに、
『それで働く』
ということが、抜け落ちていたのです。
分娩介助後に倒れ、子宝に恵まれないと悩み、病院勤務をやめてから、
すっかり、『助産師として働く』を忘れていたのです。
助産師として働くことは、私の強みであり、特性でした。
カウンセラーに相談するという、夫婦の悩みを手放したくて行動したことが、結果、
『私を思い出す』
というところに着地していました。
すぐに、助産師として職場復帰はできませんでした。
その時、子供は二人。
まだまだ、幼稚園児と赤ちゃんの二人。
母として寄り添いたい、寄り添わねば。
なにより、そうあることを求められている。
なんて、感じていた私は、
『助産師として働く』
ということをしばらく躊躇します。
それでも、その提案は、私の食や活動へのこだわりを、広い視野へと導いてくれたようです。
『助産師として伝えるならば?』
と、考えながらこだわるようになりました。
せまーいせまーい世界からのこだわりから、広く眺めたようなこだわりに変化していったのではないかな。
時間が解決することってありますね。
そして、子供は成長していくものです。
子供らは、幼稚園年長さんになり、3歳児になり、
私の手を離れる時間が増えました。
そこで、やっと、私は職場復帰を果たします。
『助産師として働く』を提案されてから、2年の時が流れていました。
週3日、1日5時間のパート。
結婚、妊娠、出産を経てからの勤務は、私に新しい視点をもたらしてくれたのです。
⑮へ続く
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