自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから
*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート)
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。
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分娩介助をがんばろう。
新しい土地で心機一転、より、自分を高めていこう。
そう考え、新しい職場へと赴きます。
少なからず、今までの自分、学生から新人助産師まで過ごした土地と、
『離れたい逃げたい』
という気持ちもあったと思います。
新しい職場は、年間分娩件数2000件。
毎日毎日、赤ちゃんが生まれます。
当時のその病院は、助産師の数が少なく、まさに、助産師として働く場でした。
勤務経験があるとはいえ、それは、たった2年間。
分娩介助も、学生時代合わせても、たった34件。
劣等感が私を覆います。
加えて、病院独自のルールや業務、記録。
大学病院で求められていた働きより、
より多くの役割をこなさなければなりませんでした。
食欲はといえば、相変わらずの、
たくさん食べたり、なんにも食べなかったり、
波が大きかったです。
しかしながら、そこの病院では、とても気の合う同僚に恵まれ、
また、プライベートでも彼との時間があることで、気分の転換がうまくなっていました。
人と人との関わりは、面倒なこともあったり、疲れたりもするけれど、
- 私をみること
- 私を知ること
- 私を保つこと
- 互いに喜びがあること
だと、この時期にとても学んだ気がします。
でも、私はやっぱり自信がなく、心の拠り所を求めていました。
『さみしい』
『不安』
そんな感情を常に抱えていたのでしょう。
夜勤の疲れから、ぼーっと一人になるとき、その反動は、食欲として現れます。
ホールケーキを買ってきて、ばくばくと食べたり、
そして、その罪悪感から、なんにも食べなかったり(食べられない、かも)。
結局、同じことの繰り返しで、摂食障害は私に付きまといます。
どうして良いかわからず、一度、両親に頼ったことがあります。
私の現状を、正直に綴った手紙を書き、送りました。
すぐに、両親から電話が来ました。
父は、
「なにやってんだー、まったく。なーにが摂食障害だ。まったく。もー、頑張りなさい!」
他にもっと言われたけれど、こればかり残っています。
文面にするときついけれど、その口調は、困惑、そのものでした。
母は、
「あらー、そうなのー。そうかー。まー、いつでも帰っていらっしゃい。あなたの味方だから。」
やはり困惑の様子でしたが、その口調は、父よりも淡々と、受け止めてくれているようでした。
とてもとても勇気がいったけれど、振り返れば、
私は『頼ることができる人』だったと、今は感じます。
ただ、その時は、両親の心の揺らぎを感じることはできず、
また、母の
「あなたの味方だから」
という言葉をありがたいとは思えど、
「もう心配かけちゃいけない」
と、強く思ったのです。
なんの強がりなのか、責任感なのか。
素直に受け取らなかった、私を悔やみます。
仕事は、失敗して怒られたり、キャパオーバーでパニックになったりしながらも、
着々と経験を積んでいきました。
分娩も一人で複数名、看られるようになり、
分娩の予測や診断、
医師への報告と指事を仰ぐこと、
そしてなにより、
笑顔で、妊産婦さんに寄り添えるようになったかと思います。
自分の業務をこなすことに囚われすぎず、妊産婦さんの、背景にも配慮ができるようになったかと。
学生時代の、キラキラとした希望が、私を包んでくれているように感じました。
たくさんの、分娩介助や新生児の看護は、私に、
『命』
というものを考える、深い学びの場でした。
でも、一番強く、命というものを考えた経験は、
『人工妊娠中絶』
の介助でした。
流産であれ、希望の中絶であれ、
その係りになれば、中絶手術をする医師の介助をします。
子宮の中に器具を入れ、内容物を掻き出します。
妊娠22週を越えない限り、子宮内のものは、人ではなく、
『物』
です。
普通の分娩の場とは異なり、その処置室の雰囲気は、低く暗く重く感じていました。
いつか私が感じた、精神科の待合室の雰囲気、それを思い出したり。
掻き出した内容物の後処理は、私の役目です。
使用した器具を洗いがてら、のう盆に出された内容物を、
ビニール袋に入れ、産業廃棄物のゴミ箱へ入れます。
どうしても私は、その内容物を見てしまうのです。
きれいに掻き出されると、その内容物は、生物の形をしています。
いままで、鼓動していただろう生物の形。
私はそこに、命を感じずにはいられませんでした。
「私、なにやってんだろうな~・・・」
虚しさを抱え、作業しながらも、その内容物に、手を合わせ、
祈るような気持ちでいたのは、何か、
『懺悔』
という気持ちに、近かったかもしれません。
『生まれでる命』
『消えていく命』
何か大きな力を感じながら、自分の小ささや勝手さを、否定していた気がします。
新しい職場に慣れ、彼との関係も続き、私は結婚することになります。
25歳の時でした。
今まで介助する、看護するものであった、妊娠、出産が、一気に自分のことへとなっていくのです。
⑩へ続く
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