自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから
*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート)
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。
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不安定な心と体を抱えたまま、私は、国家試験へと挑むことになります。
おかしな食欲に振り回されながらも、なんでしょうね、
中学でのいじめに反撃した気持ちのように、勉強に勤しみました。
助産師専攻科へは、私の入学当初からの気合いが通じ、内部推薦というかたちで、進むことが決まっていました。書類審査と面接だけで、進学が決まったときは、
嬉しいという気持ち半分、当然という気持ち半分(笑)
私のなかで、助産師専攻科は、決まった道でした。
あとは国家試験だけとなった期間は、実家に戻っていました。
専攻科でも寮は使えるとのことでしたが、あのストレスフルな環境は、もう嫌だと、
アパートを借りて通学することにしていました。
実家に戻って、少し食欲は落ち着いていました。
しかしながら、食べること自体がストレス。
『あれはダメだ』
『これはダメだ』
食事は禁止項目ばかりです。
でも、親の目がある中、食べることは食べる。
そして、密かに罪悪感。
- 食べちゃった
- 飲んじゃった
- 親に申し訳ない
- 食べ物ももったいない
自分を責めていきます。
国家試験の勉強は、むしろ、そんな自分を盛り上げてくれました。
目標に向かって、コツコツ勉強している自分。
自尊心を高めてくれました。
そんな危うい、不安定な精神状態でしたが、
私はやはり、一人で頑張ろうと、踏ん張っていきます。
私は晃子。
日光と書く晃子。
太陽のように明るく暖かく、周りを照らさなければ。
私の名前の由来です。
父がつけてくれた、お気に入りの名前。
その由来に沿おうと、頑張っていたのでしょう。
看護師国家試験は、無事に合格しました。
助産師専攻科へも、無事進学を果たします。
進学を機に、私は独り暮らしを始めます。
埼玉県の坂戸市、1Rの部屋。
親元を離れてから、初めて、やっと一人きりの部屋を手に入れました。
誰に気を使うでもない、自分のお気に入りの物に囲まれて、好きなように時間を過ごす。
そんな、希望を持ち、念願だった、助産師の勉強に取り組みます。
助産師の学校は、様々な年代の学生がいました。
私のようにストレートに進学した者。
看護師経験を経て進学した者。
看護師の主任まで経験してから進学した者。
妊娠、出産を経て、子育てしながら進学した者。
普通の会社員から看護師の免許を取り、さらに助産師を目指し進学した者。
世間知らずだった私は、その、世界の広さに、萎縮します。
経験したと思っていたことは、ぬるいものばかり。
勉強したと思っていたことは、使うことのできない浅いものばかり。
明るく楽しいあっこちゃんは、この時期に、どんどんネガティブになっていきます。
以前に自分で貼ったレッテル。
「私はダメだ」
を、さらに強化させていきます。
助産師になるべく学ぶ期間は、一年間。
始めこそ座学がありましたが、すぐに実習が始まります。
実習先は、もちろん、産科。
助産院での実習もあります。
学校では、グループワーク、個人ワーク、
それぞれ、すぐに実践できるように、レポート提出。
指導計画案や、指導資料なども作ります。
模型を使った分娩介助の演習も繰り返し行い、
自己練習したり、同じ学生と話し合ったりしながら練習したり。
時には、学生同士の家に集まり、資料やレポートの作成。
病院では、日勤帯の実習はもちろん、分娩研修のため、夜間実習もあり、学生当直室に泊まり込んだり。
慌ただしく日々が過ぎていきます。
経験もなく、ちゃんとした助産師専攻科の受験もしなかった私は、落ちこぼれ組。
同期の学生に、注意されたりすることも。
どんどんどんどん、私は劣等感の塊になっていきます。
忙しい日々の中、ただでさえおろそかな食生活。
加えて、摂食障害になっていた私の食事は、ボロボロでした。
何袋も菓子パンを食べ散らかしたかと思えば、丸一日以上なにも食べなかったり。
『バランスの良い食事を‼』
と思えば思うほど、苦しくなり、自暴自棄になり、過食と拒食を繰り返します。
精神的にも、肉体的にも、疲労の重なった私の体は、生理を止め、頭に10円ハゲを作りました。
希望を持って住み始めたアパートは、ただかえって寝る、
もしくは、ひたすら勉強をする、そんな空間になり、
楽しみや余裕を満たす場ではなくなってしまいました。
⑥に続く
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