自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴っていきたいと思います。
(月)(水)(金)に全17記事を、一つずつ挙げていきます。
*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート)
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。
================
「助産師になろう」
そう決めたのは、中学生のとき。
決意、とはこの事かなと、今振り返れば思うほど、かたく心に決めたことでした。
私は、東京、神田の薬局の家に生まれました。
祖母と父が薬剤師。
母方の祖父母は歯科医師。
母も歯科衛生士、という家に。
祖父は、区議会議員をしていて、いつも家には、たくさんの人が出入りしていたと記憶しています。
その家で私は、弟二人の長女として生まれ、いとこ同士の中でも、年長者でした。
私の記憶の中にある、幼い私は、とても正義感の強い子供でした。
- 良い悪い
- 善悪
- 正解・不正解
自分にも他人にも、その正義感を義務付けるような子供。
小学生の頃は、いわゆる女子同士で連れ立つことは少なく、男子と遊んだり、大人の人と遊んだり。
学校の中で、理不尽な仲間はずれがあれば、共感する友達と、注意をしたり。
いとこ同士の争いあれば、仲裁したり、時に断罪したり(笑)
『正義感』
と言えば聞こえが良いですが、確固たる私の価値観を、周りにも強要していたところはあったのでしょうね。
私は子供の頃から体格がよく、太っていました。
たくさん食べるのが幸せで、たくさん食べると喜ぶ大人たちの顔が嬉しくて、よく食べ、太りました。
『太っている』
ということは、やはり、いじめの対象になるのでしょうね。
よーく、覚えているのは、中学2年生のとき。
中高一貫の私立女子校に入学していました。
少し気の強い、ちょっと人の事を小バカにするような子に、いじめられた記憶があります。
でもねー、私、反撃してたんです(笑)
持ち前の、正義感で。
あーだこーだと、難癖つけられ、汚れた雑巾だったか、を投げつけられても、投げ返し(笑)
「あんたのそういうところが、むしろおかしい!」
って、いじめっ子を睨んでいました。
ある意味、自尊心が高かったのか、単に、攻撃性が高かったのか。
でも、これを機に、私は、
『外からの評価』
を、とても気にするようになったのです。
②へ続く
コメントする