アロマ助産師あっこのつぶやき

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2020年5月

アロマ助産になったわけ⑧

アロマ助産になったわけ⑧

自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから

*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。

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『そうだ、なんとかなるかも。
なんとかしてくれるだろう・・・』

過食嘔吐をどうにかしたくて、
自分を惨めに思いたくなくて、
自分をコントロールしたくて、
初めて他者に頼ろうと、精神科の門をくぐりました。

そのクリニックは、私の家より電車で3駅先。
なぜか、近くのクリニックは気が引けました。
他者評価が気になる私は、知っている人がいないところへ行こうと考えたのです。

まー、でも、3駅先くらいじゃ、今思えば、とっても狭い生活圏内。
それだけ、自分の世界が、小さく縮こまっていたのでしょうね。

予約制ではない、受付順の受診。
受付で保険証を出し、問診票を記入していきます。

・どのような症状ですか?→「食べすぎてしまう、吐いてしまう」

こんな風に書きました。

・その他、気になることをご記入ください→「過食嘔吐だと思います。治療をしていきたいです。」

こんな風にも書きました。

待合室は、大勢の人が待っています。
待っている人はみな、とても普通に見えます。
私が知っている病院の待合室は、ごほごほ咳をしていたり、ぐったりとした人がいたり、
お母さんと一緒の機嫌の悪い子供がいたり。
また、妊婦さんやそのご家族など、和気あいあいとしていたり。

そう、なんかしらの、しゃべり声など、音がするのです。

でも、その精神科の待合室は、みんな普通に見えるのに、極端に音がない。

暗いとかいう感覚とは違い、音がない。

とてもとても不安になった記憶があります。

そんな無音のなか、何分待ったでしょうか。
私の順番になり、名前が呼ばれます。

『何から話そう』
『どんな風に伝えよう』
『どうしていきたいのかな、私は』
『どう、医師とやり取りしようか』
考え、妄想しながら、診察室に入ります。

「ふーん、食べたら止まらないのね。この、過食症とかって、どこかで診断された?」
医師の第一声は、これ。
挨拶でも、私の話を聞くでもなく。

医師としたら、たくさんの患者さんが待つなか、自分の知りたい情報を早く得たい。
そして、治療なり、方向性を出していきたい。
そんな感じだったのでしょうね。

「そう、気分が乗らなかったり、落ち込んじゃうこともあるのか。眠れる?そう、眠れることは眠れるんだね。
じゃーね、向精神薬と、鎮静剤、これ飲んでみて。で、また二週間後に来て。」

私の話を一言二言聞いて、出てきた発言がこれ。
そして、診察は終わりました。

その時の私の精神状態も、良いものではなかったからか、怒りにも似た、絶望のような気分で診察室を出ます。

会計を済ませ、処方箋をもらいました。
薬局に行って、処方箋を提出したものの、なんだか虚しくなり、
治せるかもしれない、という希望も、どうでもよくなり、
薬を受け取らないまま、帰宅したのでした。

「こんなに惨めな思いとやるせない思いをするなら、自分でなんとかやっていこう」

結局、その後通院することなく、綱渡りの状態ながら、淡々と日々を過ごしていきました。

この時の医師の態度は、今の私の反面教師です。
『不安で来ている患者さんに、さらに不安な気持ちにはさせまい』
『寄り添う、傾聴する。これはとても大切なことで、私たちの役目だ』
そんな風に、意図せず、私を奮い立たせていました。

奨学金返済のための就労は2年間。
その後は、続けて勤めるもよし、転職するもよし。

私は、その病棟で、分娩を21件介助し、授乳指導もそれなりに行えるようになり、
新生児の扱いも最低限のことはできるようになり、
産後のケアに、切迫早産やつわりのケアも、経験しました。

また、婦人科疾患の方の、抗がん剤投与看護や、手術前後のケア、
亡くなった方への看取りのケア、救急対応、オペ室での看護、
不妊治療の補助・看護などを経験しました。

大学病院の性質上、産科と言えど、リスクの高い、医療的管理の必要な妊産婦さんが多かったのです。

目まぐるしく過ぎていく日々は、ある意味、淡々と日々をやり過ごそうとする私に、好都合でした。

しかし、思うのは、助産師専攻科での、緊張しながらも、キラキラと希望を持っていた実習のこと。

「普通の分娩を、もっともっと扱っていきたい!」

そう考えた私は、大学病院をやめることを決意し、埼玉県から離れることにしたのです。

彼の近くに行きたい。ゆくゆくは結婚も考えて。

当初は、実家の方に戻ることを考えていましたが(実家近くには大きな病院が何軒もあり、産科が有名な病院もありました)、以上のような思いから、東京都清瀬市に引っ越すのです。

彼からも情報を得て、個人の病院で産科が有名で、分娩件数も多いところに就職が決まりました。

⑨へ続く

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