自己紹介を兼ねて、あらためて、
私が『アロマ助産師』になったわけを綴るシリーズです。
(月)(水)(金)に、全17記事を、一つずつあげています。
①はこちらから
*2017年11月~12月の間に、
アメブロ(アロマ助産師あっこの『自分でつくる!安心マタニティ&子育てライフ』サポート)
でアップした記事の再掲(一部加筆・修正あり)になります。
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助産師国家試験目前。
気持ちも体も、慌ただしさと共に疲労していましたが、
食べることを大切にするようになった私は、妙に落ち着いたところもあり、コツコツと勉強します。
不安と自信と、恐怖と希望と。
いろんな感情がない混ぜになって、私は過ごしていました。
そんな中、勉強しなければいけないのに、遊ぶこともできていました(笑)
それは、その時に付き合っていた彼(後の夫)の影響。
私の世界にはまったくいなかったタイプの人でした。
前の彼氏から、一方的にフラれていた私にとって、騒がしくはしゃぎ、仲間に囲まれ、
その仲間の中にどんどん私を連れ込んでいく彼を、
とてもびっくりしながら、とても楽しく思いながら付き合っていました。
彼といると、別世界にいるようで、いろんな悩みを忘れていました。
もちろん、彼といるときの新たな悩みはありましたが・・・
でもこのことは、私の生活にメリハリを持たせてくれたのは確かです。
助産師国家試験は、見事合格しました。
通っていた大学から、奨学金をもらっていた私は、その返済のために、埼玉医科大学病院に就職します。
もちろん、産婦人科に、助産師として。
社会に出るって、やはり厳しいものがありますね。
助産師専攻科で受けたものとは、また違った重圧を感じました。
お給料をもらって働く、資格を掲げて働くというのは、
当然のことながら、責任というものが重くのしかかります。
学生の頃は、教員や指導者さんが守ってくれていた部分も、すべて自分で背負うことに。
病院に入院される、妊婦さんや産婦さん、婦人科の患者さんからしたら、
いくら新人の私でも、一人の資格者。
希望を持ちながらも、戦々恐々と日々の業務に携わります。
新人指導として、先輩助産師が指導に当たってくれますが、
学校で学んだことは、本当に基礎の基礎の基礎。
応用編や、その職場のローカルルール、助産師や看護師同士の考え方の違いなど、
様々なことにもまれていきます。
委縮する癖が、抜けていなかった私は、小さなミスで、注意されるたび、
どうしたらよいだろうと、改善案を考える前に、自己否定をしていきます。
また、勤務している産婦人科病棟では、生命の誕生と死が、毎日のように繰り広げられます。
それは、まさに教科書にはない、現実そのもの。
こちらで、おめでとう!と言ったかと思えば、
あちらでは、ご愁傷さまでした・・・
テンポも速く、私の思考と感情と体調は、ばらばらといていきます。
もちろん夜勤もやっていたので、それこそ、体内リズムはばらばらとしていたでしょう。
整いかけていた私の心と体は、またしても、ほころび始めていきます。
過食嘔吐の再燃(再発)です。
特に夜勤明け。
疲れた心と体で、ふらふらーと病院を後にする。
張りつめていた気持ちが溶けていくと同時に、猛烈な食欲が。
『あれが食べたい』
『これも食べたい』
『食べなきゃ食べたい食べなきゃ!』
立ち寄ったスーパーで、お菓子や菓子パンを買い漁る。
不思議なことに、ちゃんとした食事を食べたいとは思わず、ジャンキーなものばかり。
今思えば、手っ取り早くエネルギーになり、幸せな気持ちを呼びやすい、
糖質と強い味覚刺激の欲求だったんでしょうね。
きちんとした食事をとれていなかった体は、十分な栄養を蓄えていなかったのかと。
また、強いストレスは、正常な空腹や満腹調節も、混乱させていました。
彼との時間は楽しく過ぎましたが、家に帰り一人になると、また元通り。
『これじゃだめだ』
強迫観念で、いつも緊張していたのを思い出します。
助産師の実習と、就職後は、勤務の疲れと、時間のやりくりの難しさから、
ヨガ道場はやめてしまっていました。
自宅で、ヨガをとる時間も、気力もなく。
引き続き、一人暮らしの部屋は、寝るために帰る、さらなる勉強をする場、としてだけ存在していました。
「そうだ、精神科へ受診してみよう」
医療従事者でありながら、医療機関という存在を、忘れていた私。
患者として受診することを思い出しました。
『専門家がいるじゃないか』
『そこに行けば何とかなるかもしれない・・・』
そんな期待を込めて、緊張と不安と、恥ずかしさも感じながら、
精神科クリニックの門をくぐります。
⑧へ続く
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